【家庭菜園】ハーブ栽培始めました
初めての日記的な投稿になります。
表題の通り、ハーブの栽培を始めました。
かねてよりやりたいと思っていたのですが、ふるさと納税の返礼品でハーブを見つけたのをきっかけに、とうとう栽培を始めることに踏み切りました。
はじめに
かねてよりやろうと思っていたふるさと納税。
そして同じくずっとやりたいと思っていたハーブ栽培。
この2つを同時に満たすことができるムーブとして、「ふるさと納税の返礼品でハーブ苗を探す」ことを思いつきました。
検索してみるとたくさん見つかりました。
その中で、その季節におすすめのハーブ苗をいくつか送ってくださるものを見つけ、そちらを返礼品として選択、納税させていただきました。
お金が有意義に使われることを祈って。。。
届いたのは以下の5つ。
・ホワイトペパーミント
・ラベンダー(アラビアンナイト)
・オレガノ
(ローマンカモミールは残念ながら届いた時点で枯れてしまっていました…)
実際届いた苗を見たとき、初めてのガーデニングに心躍りました。
ここから育て方の情報収集が始まりました。
準備
今回はプランターで栽培することにしましたので、鉢植えで育てる前提で調べました。
各種類ごとに詳しく調べたのですが、ハーブは以下の性質をもつものが多いようです。
☆耐寒性・耐暑性 … 比較的高い
☆病害虫 … 耐性高(1番の天敵はアブラムシ?)
また、栽培方法はおおよそ以下のようにすれば良いようです。
☆置き場所 … 半日程度日光が当たる、風通しの良い場所
☆水やり … 表面が乾いてからたっぷり
☆肥料 … 基本不要、葉の色が薄くなってきたら緩効性化成肥料
もちろん全部このようにすれば良いわけではないと思います。
例えば、ホワイトペパーミントは日当たりが3-5時間の半日影に置き、土は常に湿らせておく方が良いようです。
これらの情報をもとに、以下のものを購入しました。
☆野菜・ハーブ用培養土
→とりあえず既にブレンドされている培養土にしておけば間違いないらしい。
せっかくだし自分で土を混ぜたいとは思いましたが、赤玉土等をそれぞれ別に買うと量が多すぎて余ってしまうし、値段が…ということで培養土をチョイス。
☆鉢底石
→水はけ・通気性を良くし、根腐れ防止の目的があるようです。
ガーデニング初心者すぎて鉢植えの底に石を敷くことを知らなかった。
☆ハーブ用化成肥料
→肥料なくてもいいらしいけど、ちゃんと育成してハーブ栽培の知識を付けたいので購入。
「ハーブ用」と付いているから安心して買った。
家になかったので鉢植えも購入。
ようやく土いじりの時間です。
実践
以下の手順で進めました。
1. 鉢植えの底に鉢底石を敷く
2. 鉢植えの1/3くらいまで培養土を入れる
3. ポットから苗を出し、根を傷つけないように軽くほぐす
4. 苗を鉢植えに入れ、根が覆われるように培養土を入れる
5. 鉢植えの下から水が流れるくらい水やりをする
1. 鉢植えの底に鉢底石を敷く
→ネット入りの鉢底石を買ったので、各鉢植えに1つ入れました。
ネット入りのものだと、「洗って再利用」がしやすいようです。
2. 鉢植えの1/3くらいまで培養土を入れる
→苗の床を作ります。
3. ポットから苗を出し、根を傷つけないように軽くほぐす
→特に主根(1番太い根)を傷つけないようにやさしく扱います。
4. 苗を鉢植えに入れ、根が覆われるように培養土を入れる
→根がむき出しにならないように気をつけます。
葉・茎が隠れても出てくるくらいハーブは生育力が強いとのことなので、やや過剰に根の周りに培養土を盛ります。
5. 鉢植えの下から水が流れるくらい水やりをする
→基本乾かし気味に育てますが、植え替えてすぐのときはたっぷり水を上げた方が良いようです。
これで作業が終わりましたので、鉢植えを置く場所を決めるだけです。
それぞれに合った日当たりを考慮して、鉢植えを配置しました。




おわりに
栽培するのも楽しみだし、大きく育つのを見るのも楽しみです。
収穫できたらハーブティーにしたり、料理に使ったりしたいです。
生育状態を今後記事にするかもしれません。
どうぞよろしくお願いします。
論理的思考力
このシリーズ、しばらく更新していませんでしたが、
下書きをやっと出すことにしました。
論理とは何か
私は論理学に詳しいわけではありませんが、論理と一口に言っても様々な論理があるようです。ここでは、後の言いたいことのために、また簡単に考えるために、すべての命題(「○○は××である」といった文)を真か偽の2つに分けるものを「論理」と呼ぶことにします。
ここで、その命題が真であるとは、絶対に正しいということを意味します。逆に、その命題が偽であるとは、必ずしも正しくないということを指すことにしましょう。
例えば、「明日の天気は晴れ」という文は「偽」に該当します。なぜなら、雨が降る可能性もあり、”絶対に”晴れるとは言えないからです。ですから、「真」であることを口にしたければ、「明日は晴れる可能性がある」といえばよいわけです。
「絶対に」「可能性がある」というとおかしな気がするかもしれませんが、「絶対に」は、あくまで「文につけても頷ける」程度のものと捉えてほしいです。
正確な論理を扱いたい方は、学問としての「多値論理」や「様相論理」について学んでください。ここではあくまでも、コミュニケーション能力について話をしたいと考えています。
論理的思考力とは
では、この論理に基づいて考えてみたいと思います。例えば、ある人が「辛い物が好きです」と言ったとします。ここで、話し手も聞き手も、それは真だと考えている状況を考えます。
すると、これを聞いた人は、「話し手は麻婆豆腐が好きなのか」と考えるでしょう。(私の趣向で辛い食べ物の代表を麻婆豆腐にしました)読者の皆様も、何か辛い物を思い浮かべて「この人は○○が好きなのか」と思ったのではないでしょうか。
これが論理的思考力だと私は考えます。これはこう言い換えることもできます。○○には「一般的に辛いとされるもの」が入れば真なる文ができるということです。
また、「この話し手の嫌いなものを当ててください」と言われた人は、少なくとも麻婆豆腐含め、辛い物を除外して何か発言しようとするはずです。
これが私の考える論理的思考力なのですが、いかがでしょうか。こういった思考力を備えていない人はあまりいないと思います。つまり、論理的思考力と大げさに言われているものは何か別のものの可能性が高いと考えています。
例えば、不慣れな事柄について論理的思考力を直ちに発揮させるのは難しいかもしれません。
中学生が2次方程式を利用して文章題を解けなかったときに、「論理的思考力がない」と指摘するのは正しいのでしょうか。慣れていてパターンを掴んでいる人にとってはこういった問題は簡単かもしれませんので、その中学生は慣れていないだけかもしれません。
また、式を立てるところ、あるいは式を立てた後に変形できずに解けていないのかもしれません。これは別の能力が欠如しているのではないでしょうか。
日常的にも、学問や仕事で難しいと感じることは多々あり、瞬時に論理的思考力を働かせることができないかもしれません。そういった原因には「不慣れである」「前提が理解できていない(忘れてしまっている)」等があるかもしれません。論理的思考力という一言で済ませてしまうと、その奥にある原因がしっかり追究できなくなる可能性があるのではないでしょうか。
相手に正確に伝えるために
話がそれるようですが、この記事は『コミュニケーション能力とは』の続きであることを思い出して、次の考えを述べたいと思います。それは、相手に正確に何かを伝えたいと思ったとき、相手にも上述のような論理的思考力が備わっている前提で発言をするべきだと私は考えます。
例えば上と同じ例で、「辛い物が好きだ」と言ったときに、「話し手は辛いものなら何でも好きだ」と考えてしまう人も少なからずいるのではないでしょうか。そういう発言は控えましょう、と言うとさすがに窮屈な世の中になってしまうと思いますが、ビジネスシーンでの伝達など、正確に伝える必要がある場面も少なからずあるはずです。そういった場面では、例えば「唐辛子、わさびを使った料理が好きです」と言えば、山椒を使った料理は除かれることになります。
このようなことを堅苦しいシーンでいうことはあまりないかもしれませんが、1つの参考になればと考えています。
また、日常会話では、「たいていの辛い物は好き」などと言えば、不正確に伝えることを避けられる上に、「じゃあ麻婆豆腐は好き?」などと話が弾んでいいかもしれません。すぐに断定口調で話さずに、ちょっと濁す。これが私が心掛けている話し方です。
価値観が違えば結論も違う
ここでも論理的思考力が備わっている前提で話を進めます。
論理とは、すべての命題を真か偽として結論付けるものであるというのがここで考えている論理だということは冒頭でも述べたことです。真偽は論理のゴールともいえる到達点ですが、であれば、出発点もあるはずです。その出発点となる考え方こそが「価値観」ではないかと私は考えています。
出発点ということはそれ以上論理として遡れないものであり、したがって、それは論理によって揺るがすことができないものです。繰り返しになりますが、それこそが個々人が持つ「価値観」ではないかと考えているわけです。
例えば好みは人それぞれの意向であり、論理によって揺るがせない価値観に近いと思います。「なぜ○○が好きなのか」と問われても、回答するのはなかなか難しいような気がするからです。
では仮に、好みが「価値観」であり、人それぞれの前提となる考え方であるとします。
今ここに辛い物が好きなAさんと嫌いなBさんがいます。このとき、Aさんは辛い食べ物がすべて好きで、Bさんはその真逆です。論理なので、このように極端な設定を考えます。
ここで2人によって以下のような会話がなされたとしましょう。
A : 麻婆豆腐っておいしいよね。
B : どうしてそう思うの。
A : だって麻婆豆腐は辛いからね!
Aさんの中では「辛い物はおいしい」という命題が真になっているのでこのような発言をします。しかし、Bさんはこの後納得するでしょうか。「私は辛いから麻婆豆腐が嫌いなんだけどな…」という風に思うはずです。
何が言いたいかというと、「辛い物はおいしい」とういう結論が、Aさんの中では真、Bさんの中では偽、と食い違っているのです。このようなことは多々あり、コミュニケーションにおいて留意するべき点だと思っています。
このようなことに気を付けていないと、Aさん側は価値観の押し付けを、Bさん側は価値観の否定をすることにつながってしまうと危惧しています。
Aさんは「麻婆豆腐はおいしい」ということを押し付けずに、Bさんが「辛い物が嫌い」という価値観を持っていることに留意すべきです。一方、Bさんは、Aさんが「辛い物が好き」だという価値観を持っていることに気を付け、「Aさんは辛い物が好きだから麻婆豆腐が好きなんだな」というような納得をすれば、お互いにギスギスせずに済むはずです。
言いたいことが伝わったでしょうか。論理をコミュニケーションのすべてと捉えずに、その前提となる価値観にも目をやれば、もっと良い関係を築くことのできるコミュニケーションができるのではないかと考えています。
具体・抽象を操る能力
前記事『コミュニケーション能力について考える』の続きとして、1つめは、具体・抽象を操る能力について考えていきたいと思います。
具体と抽象
今後の話で齟齬が出ないように、初めに言葉の意味を共有します。
まず、「具体」とは、実際に存在する個々の事柄や事物を指して使われていると思います。「具象」と言っても通常同じ意味として捉えられているでしょうか。意味がうまく共有できていなかったらすみません。「抽象」の意味を共有した後に、まとめて詳しく言葉の意味を考えていきたいと思います。
次に、「抽象」とは、個々の事柄や事物に共通している要素を指して使われていると思います。
辞書的(抽象的)で私が考えていることが伝わっていないかもしれませんので、掘り下げてどういった場面でこれらの言葉が使われているか考えたいと思います。
「具体」と「抽象」は階層の関係にあると考えています。これを「色」を例に考えたいと思います。まず、「具体的」に存在する個々の色は「緑」や「赤」などがあります。これは実際に目に見えるものです。さらに「透明」も実際に存在すると考えてよいでしょう。空気や水は光を透過するからです。
これらを「抽象的」にすると、前者に共通して言えることは「有色」である、ということです。一方、後者は「無色」ということになります。この世には”ない”という事象が存在すると考えても問題ないと思います。
ではこれらをさらに「抽象的」にすると、「有色」にしても「無色」にしても共通して言えることは、「色」ということになると思います。このように「色」は、「色」という言葉が最上位にあり、3層の構造になっていると考えることができるでしょう。これが上で述べた、「具体」と「抽象」は階層の関係にある、ということです。
言いたいことが伝わっていれば幸いです。
もう1つ別の例も見たいと思います。次は「植物」で考えてみます。植物には様々な区分があり、「果物」や「野菜」、「香草(ハーブ)」、「雑草」などと様々な括りが作られています。そしてその中に、より「具体的」な、「みかん」や「ほうれん草」などの植物の名前がついています。
ちなみに「果物」には「木になる実」という意味があるそうですので、植物を「木になるもの」「木にならないもの」に分けて、さらにその中で、「楓」や「紅葉」などの「実以外を食べるもの」や、「実を食べるもの」などと区分していってもいいかもしれません。
あまり深堀りしすぎるとかえってわかりにくくなりそうなので、このように「植物」も階層の関係になっていることが伝わっていれば今後の話が、私と同じ価値観で考えることができると思います。
具体と抽象を行き来する
私は、「具体」と「抽象」を行き来する力はコミュニケーション能力の一部だと考えています。適切に「具体的」または「抽象的」な言葉を使い分けることは、話の分かりやすさに繋がってくると思うからです。
例えば、「私は、あの赤くて辛い食べ物が好きです」と言ったとします。これは「赤い食べ物」という抽象的な言葉と「辛い食べ物」という抽象的な言葉で、ある食べ物を表現しようとしたセリフです。
なぜこれらの言葉が「抽象的」かというと、「赤い」「辛い」という特徴はいくつもの食べ物に当てはまる、共通する特徴となっているからです。
そして、こうした説明はわかりやすいでしょうか。およその方が唐辛子を思い浮かべたと思いますが、いつでもこのように抽象的に説明することはスマートとは言えません。したがって、「私は唐辛子が好きです」と「具体的に」説明する方が簡潔あり、コミュニケーション能力がある人だと考えます。
上記の例は、いわゆる「語彙力」がない人とある人では、ある人の方がコミュニケーション能力は高いと言えるでしょう、という話でした。
一方、「抽象的」な説明ができた方が簡潔な場合もあります。
「私が好きな色は、アマガエルや葉っぱのような色です」と説明すると、これもまたくどい説明に感じてしまうのは私だけでしょうか。「最初から緑って言えよ!」と突っ込みを入れたくなってしまうようなセリフです。このように、誰でも知っている一言で説明できた方がやはり簡潔な文になりますので、こういった場合は「抽象的」に説明する方がスマートに感じます。
相手に合わせる
こういった例はいかがでしょうか。「べき乗は演算です」と言われて、なるほどと思う人は少ないと考えています。これは「べき乗」という相手が知らない言葉を、「演算」という「抽象的」な言葉で説明しようとした例です。
私はそれなりに数学が得意だと信じていますので、上のように説明されてすぐに納得できます。しかし、数学に慣れていない方はこの説明で納得できないかもしれません。
では次のように説明したらいかがでしょうか。「べき乗はたし算やかけ算と同じように、2つの数からある規則に従って数を作るものです」このように「足し算」「掛け算」といった「具体例」を出して、長々と説明した方がわかりやすいのではないでしょうか。
つまり、言いたいことは「相手に合わせて具体・抽象を行き来する」のがコミュニケーションにおいては重要、ということです。「演算」の話にあるように、いつでも簡潔に説明するのが必ずしも適切ではないと思っています。
今回このような例で説明したのは、数学が好きではない人が多くいるということを私が認識しているからです。普段の会話でも、同じように、相手がその言葉を知っているかをよく考えてから発言するのが、究極的にはスマートといえるのではないでしょうか。
コミュニケーション能力とは
初めてブログを投稿します。ぱるふぇと申します。このブログでは日頃考えていることをまとめたり、趣味について書いたりしようと思っています。
今回は、よく聞く言葉である「コミュニケーション能力」について考えていきたいと思います。
コミュニケーションの目的
コミュニケーションとは何でしょうか。会話や文面でのやり取りを思い浮かべる人が多いと思います。
ではコミュニケーションの目的は何でしょうか。その1つに、「相手に何かを伝え、納得してもらう」ことが挙げられると考えています。それは会話の基本であると思うからです。
さらに究極的には、「人間関係を良くするためのもの」であると考えています。コミュニケーションによって人間関係が大きく変わってくる、ということは経験し実感していることです。
こういった目的がコミュニケーションにあるということは、逆に言えばコミュニケーションはあくまで何かの手段であるということを忘れてはいけないと思います。そして、手段は目的と同じくらい大切にするべきものであるというのが私の考えです。
共感していただける方はぜひ続投する記事を読んでいただきたいと思っています。
以上のようなことを考えると、例えば正論がいつでもコミュニケーションにおいて良いと思えなくなってきます。正論とは説得するために吐き出されるものですが、説得するのと納得してもらうのでは大きな差があると感じています。
人間関係を良くするためには、相手が納得できない正論をいうより納得できるような話し方を心掛けたいと常々思っています。
コミュニケーションの目的を見失わず、コミュニケーション自体も大切にしたいというのが私の考えです。
コミュニケーション能力とは
コミュニケーション能力と一口に言っても多くの要素があると思います。それを今回は細分化して考えたいと思います。ほかにも必要な力があるかもしれませんが、特に重要だと思うのが以下の3つになると考えています。
・ヒアリングする力
今後考えが変わって上記の部分を変更するかもしれませんが、語りたいのは以上3つだと思って読んでいただけると幸いです。そしてそれぞれについてはまた今後の記事で語っていきたいと思います。